「本当に幸せな瞬間でした」甲子園の始球式で捕手 大槌高3年金野利也さん

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8日開幕した「夏の甲子園」。その始球式で捕手を務めた大槌高校の金野利也さん(3年)は「大槌の思いを背負って」大役を堂々と果たした。東日本大震災は金野さんを大きく変えた。釜石市箱崎の自宅が流され家族を亡くし、野球をやめようと悩んだこともあった。投手一筋だったのが被災部員の転校で急きょミットにはめ替えた。苦難と苦悩を乗り越え、甲子園のキャッチャーボックスにたどり着いた。始球式はたった一球。「大きな拍手を受け本当に幸せな瞬間でした」。

午前10時25分、甲子園球場。3万数千人の大観衆が見守る中、金野さんは福島・双葉高投手の猪狩駿さん(2年)とともに審判に促されてベンチ前からグラウンドへと駆け出した。

「テレビで見ているスタンドの景色と違う。凄い」。大きな歓声と拍手でどよめく甲子園。マスクをかぶってキャッチャーボックスに座ると、空気が変わり、初めての感覚に興奮した。

「高校球児はみなこれを目指しているんだ。野球部のみんなで来ていたら、どんだけ面白かっただろう」

左打席に入って素振りを始めた福井工大福井の菅野真史選手に、思い切って笑顔で声を掛けてみた。「よろしくね」 「ピッチャーはどんな感じなの?」 「120ちょいは出るらしいよ」 。始球式練習で「緊張するなぁ」と硬くなっていた猪狩さんをリラックスさせようと、両腕を大きく広げてみた。サイレンがこだまする中、全力で投げ込まれたボールは少し外角高めに浮いたが、中腰になってしっかりと受け止めた。再び球場が割れるほどの大きな拍手に身震いした。 猪狩くんに駆け寄り「お疲れ」とボールを手渡した。

小学3年の時「やりたい」と父に告げ、野球を始めた。中学・高校でも「起きたら野球、寝るまで野球」というほど熱中。ポジションは投手一筋だった。

2011年3月11日、大槌高のグラウンドでバッティング練習中に大きな揺れを感じ、校舎に避難した。3日後、大槌にたどり着いた義兄と弟から、母と姉、祖母が亡くなったと知らされた。自宅から通う交通手段も途絶えていた。

「野球なんて無理。やってる場合じゃない」 。だが、佐々木雄洋監督から「やめてもしょうがないが、できる限りのことは全部やってやる。ぎりぎりまで待って」と諭された。後にバッテリーを組む岡谷惇喜くんからも「やってほしい」と引き留められた。1カ月の空白を経て野球を再開。帰宅が遅くなる大会前の練習後は佐々木監督に送ってもらった。

正捕手になる予定だった部員が被災し転校することになり、佐々木監督から勧められ捕手へ転向した。「最初は岡谷の球が速くて捕れないし、盗塁も刺せないし、ショートバウンドも捕れないし最悪の状態」。キャッチャー出身の佐々木監督から技術をつきっきりでたたき込まれた。岡谷くんの速球をなんとか捕れるようになったのは今夏の岩手大会直前だった。

町民の熱い声援を受け大槌高は岩手県大会で13年ぶりのベスト8入り。7月18日の準々決勝では最後まで粘り惜敗した。

「町民が応援してくれるからこそ頑張ろうという気になれた。大槌町民は、震災を一緒に経験した『仲間』。一層つながったという思いです。大槌はふるさとみたいな感じです」 。家族と住む仮設住宅の部屋に、瓶入りの甲子園の土と、「全国高等学校野球選手権大会」と記された記念ボールを飾っている。

記事=松本 裕樹写真=門谷 優