山さ逃げた。津波を後ろにして逃げたんだ

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大槌町赤浜 阿部みよ子 60歳

まさか、こんな地震がくると思わないで、小学校におりたのね。あのほれ、こんな大きい津波がくると思わんかったから、学校さいって炊き出し手伝いにいごうと思ってさ。ほしたら水門から津波が見えたんです。

阿部さんが住む高台から。大槌湾とひょっこりひょうたん島のモデルとなった蓬莱島も望める。死者・行方不明者は約100人で住民の1割に上る。

自治防災組織があって、婦人消防協力隊としていった。消防隊は車さ乗ってサイレン鳴らして、水門閉めようとしてやられた。津波ってあんなおっきいのじゃない、前のときは水門超えてさらっときたぐらいだったから、あんなのくっと思わないで。

学校いったらば水がこいできちゃった。校門で会長さんが誘導してたんが、後ろから津波が。まさか津波が。だから山さ逃げた。津波を後ろにして逃げたんだ。必死で逃げた。ここまで(膝あたりまで)、だーってきちゃったから、後ろから波が。あれっと思ってさ。気づいてきたときにはきてた。みんな「津波だ!」って言ったんだろうけどさ、頭がまっしろになって覚えてない。夢中だよ。途中で「津波くっぞ」って言ったら「大丈夫だ」って返事あっだけど流されたんじゃないかな。

集落を守るように高い堤防が海沿いに建つ。赤浜小学校の校門付近から海側を見る。堤防の切れ目は町中心部との道路が通る。校門から海までは約100メートル。

大津波警報は知ってたんだ。電気消えたからテレビも切れた。いつかはくるって言ってたけど、まさかこんなに大きいのが。避難訓練は3月3日が津波記念日だったから。やったばっかで。いつもみだいに誘導してた人は波にもってかれた。

裏山さにげたんだねえ。生徒も山に逃げた。学校に避難されていた人も、体育館に波がはいって、何人か亡くなったんだって。わたしは学校の裏にお墓が高くなって、そこさ逃げました。

阿部さんが逃げたというお墓からの小学校と堤防。右側の大きな建物が小学校の体育館。校門からの距離は約100メートル。急で細い道を登らなければならない。

何人かお墓に逃げてる人がいたよ。そしたら山から煙が見えたから、山の道を思い出して坂さ登って家さづいたら、あたりが火事で焼けてた。まだ明るかったかな。あっちさ、こっちさに船が燃えて。畑にブルーシートひいて避難した。夜も暗くなってきて、吉里吉里のらふたぁ(老人ホーム)に逃げた。地域の人が車のってくださいって助けてくれて。さむいべし。ストーブもないべし。さむかったあ。

阿部さんは燃えてしまった家の上にプレハブを建てて住む。お風呂も台所もご主人が作業して整備している。

浜で生まれてさ、浜っごだでども、まさかくっと思わなかったね。茶色いのや黒いのから煙みたいに。急に水が上がって、また引いて。勢いってすごいな。避難場所が決まってても、山さ、山さがったほうがいい。みんなそう思ってなかった。けど、まーだこねえとも思う。ここまでは(津波は)こねーってさ。大槌はいい町なんだべ。早く復興して家たてたい。内陸さ行ってる人が帰ってくるような活気のある大槌にさ。

<取材を終えて>
どこまで取材相手に踏み込んだらいいんだろうか。「もう少し詳しく教えてください」という言葉を何度も飲み込んだ。阿部さんは終始笑顔で、何でも聞いてねと言ってくれたけれど、家を出て小学校の校門からお墓まで逃げた部分の話はぼんやりしていて「空白」のままだった。新聞の証言原稿だったらボツだなあ。聞き方が悪かったのかも。何度も通って少しずつ心を開いてもらうべきかも。でも、津波から生き残った人の言葉なら、ありのまま掲載しようと思った。それが阿部さんの「いま」なのだから。

記事=藤代 裕之写真=藤代 裕之 / 土舘 聡一