大きい地震がくるって、前の日に荷物まとめたんです

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

大槌町小鎚 鬼原愛子 26歳

前の日に、デジャビュっていうんですか。「大きい地震がくる」って親に言ってたんですよ。「荷物まとめておいて」って、荷物まとめたんですね。結構当たるので。

その日は、ちょうど仕事が休みで、3番目の(子どもの)予防接種だったので、3番目だけ保育園休ませて家にいて、予防接種終わって帰ってきたときでした。あーやっぱ何もなかったんだーって言って、その荷物をほどいたんですよ。30分くらいしてから来た。

鬼原さんは、18歳で結婚。両親と、夫、3人の子どもと実家で暮らしていた。

準備はしてたんですけど。ちっちゃい頃から、海が目の前だったので、親が津波の度に逃げる、避難してたんですよ。お父さんは、チリ津波に遭ったので。同じ場所で。なんか、全部流された、みたいな感じらしいです。お父さん口数あんまり少ないから。お母さんが心配性なので、繰り返し言われていた。

ちっちゃいころはもうずーっと地震が多かったので、そのたんびにおばあちゃんちが高台なので、避難をしてて。大人になったら、もうこれくらいだったら大丈夫だろうというのは出てくるんですけど、でもなんて言うんですか、やっぱり、あまりにも大きかったので、地震が。ホントにもう立っていられないくらいで、棚とかも倒れてきたりして。

これ津波絶対来るなと思って、子どものそばにいかなきゃ、と思って、逃げたんですけど。4人目の子はお腹にいて、上の2人はおおつち保育園に行っていて。地震終わってすぐ、家を出ました。もうだめだ、というか、目の前に母子手帳があって、このくらいの距離だったんですよ、で、逃げようと思った瞬間に、現金だけ持って、「あ、母子手帳」って思ったんだけど、そんな暇ないって思って。多分、焦ってたんですよね。もうほどいた荷物も、そのまま。着替えと食べ物とか毛布とか通帳とか全部あったけど。

そしたら、もう渋滞ですよね。信号も止まってて。家から町まで5分くらいなんですけど。渋滞なってて走れなくなったんですけど、10分くらいかな。もう、ぐいぐい「子ども、子ども」と思って、無理くり、中に入っていったんですけど。保育園迎えに途中に東京のお姉ちゃんとは連絡がとれたんですよ。「大丈夫?」ってメール届いて。焦って急いでメール返して。そのときはつながってた。地震から15分くらいですかね。

右側の焦げ茶色の屋根が鬼原さんの子ども2人が通っていた「おおつち保育園」。左側の道路がバイパス。バイパスに比べて低いところに立地している。

保育園にはみんな迎えにきていました。(子どもは)お昼寝の後、起きたくらいだったので、裸足で、パジャマで。多分、先生が一緒に逃げようとしたんじゃないですかね、「待ってて、待ってて」と言われて。「行っていいですか、行っていいですか」って。地震もすごかったので、でももうここじゃやばいと思って、だから「もう先生ダメ、行きます」って、子ども連れて逃げたんですけど。先生たちもバイパスの方の崖に登って、そこにいた人は(助かった)。連れて帰った人は、結構亡くなってる人多いんですけど。もうダメかもと何度も思いました。でも、ここでダメでたまるかとも思いました。

3人連れて、城山(中央公民館)に行こうと思って、街を通って、城山までは行けたけど、上っていくところがもう混んでて。決まってはないけど、高台と思ったら、そのときは城山って思った。今考えたら「危ないよ、街を通るから」って言われたけど、他が分かんなかったので。

上っている途中に「津波が来たー」って言われたんですよ。そこ結構、もう登ってたので。「津波が来たぞー」って。中学生くらいの子が騒いで見てて、そうしたら煙みたいなのが見えて「とりあえずのぼんなきゃー」って。でも、車動かなくて、つっかえて、車から降りて見てみたら、すっかり津波が来てました。対向車線からは(車が)来ないから、もうがーーって上がりました。

一面水で、あと、バキバキとか、そうこうしているうちにドンって鳴ったので。火事ですか、相当すごくて、あと、人が泣いている声、叫んでいる声とか。子どもが不安がるので、騒いでほしくなかったんですよ。「やめてー」と思って。目の前のおばさんが「もう終わりだー」って騒いどられて。「やめてー」と思って。涙を我慢しながら。

中央公民館から見た市街地。津波の後の火事で、火の海になったという。

中央公民館に行ったら知り合いに会った。火の海、どこを見てももうオレンジみたいな、赤みたいな感じで、ずっと。地震もすごかったし、火もすごかったので「ここもやばい、避難しろ」と言われて。山づたいに、奥の方、金沢方面に、車で動ける人は動いてくださいと言われて。6時くらいですかね。冬だったんで真っ暗。雪も降ってたので、すんごい寒かったです。とにかく。とにかく、すんごい寒くて(子どもが)お腹もすいたって言うし。

放送が鳴ったのがもう遅い時間だったんで、結構。大津波警報、私は聞こえました。地震があって15~20分くらいしてからですかね。その前にもうちょっと何かできたんじゃないかなと思って。それしか聞こえなかったです。あとは何にも聞こえなくて、役場の人もあたふたしてて、やっぱり、どうしていいかわかんないみたいな感じだったんで。もうちょっと早ぐしてくれたら。ねえ。私の友達も「どうしたらいいかわかんないわかんない」って言って、そのまま今も行方不明なんで。泣いてだったみたいなんですよ、「どうしたらいいかわかんないわかんない」って。子ども迎えに行った後で。多分、家に帰ったのかなーって。

多分、あんまりないですよね、すぐに逃げろって。友達とかもどうしていいかわかんないという感じだった。今まで来る来るって言って、1回も来たことなかったので、またみたいな?大丈夫でしょ?みたいな感じでした。「津波てんでんこ」は、うちの親は言っていました。てんでばらばらに逃げろと。後々、「持ってくればよかったー(荷物)まとめてたのにー」ってありましたけど。とにかく「子ども子ども」って、それしか。

これからどうなんのかなーとか、ここ出た後の心配はやっぱりありますけど。ここ何年住めんのかなーと思って。最初は2年って言われてて、その後、1年延びたって言われたんですけど。どうなんだろうなー。この後、行ぐとこなかったらねぇ。でももう、親も「怖いからいいよね」って言ってて。多分、また来るじゃないですか、津波が。そうやってまた家なぐなったら。(海は)きれいっては思います。でも入りたくないって思います。いつもの静かな海だなーとは思いますけど。

鬼原さんと長女の愛鈴ちゃん。震災当時お腹にいた愛鈴ちゃんは元気に育っている。

<取材を終えて>
よく笑う、笑顔が可愛い人だった。地震直後、現金だけをつかんで家を飛び出した。車で中央公民館に上る最後は、強引にハンドルを切ってアクセルを踏み込んだ。もし、そうしていなかったら。私なら、できるだろうか。ギリギリの場面で、そんな判断と行動ができるなんて、本当にすごい。どこからそんな力が。ギャップに戸惑う私に、鬼原さんは「やっぱり、子どもですよね」と、笑って答えてくれた。

記事=田中 輝美写真=門谷 優 / 藤代 裕之