私を変えた運命のカメラ 高校生・釜石望鈴さん

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全てが流され、草むらとなってしまった荒野から、新しい花の芽が出るようなものなのかもしれない。その芽がちょっとでも大きくなるように、集まった人たちが水を注いでくれる。大槌町の吉里吉里地区に住む高校1年の釜石望鈴(みすず)さん(15)は、中学生時代は人と接することが苦手で、家からもあまり出なかった。だが、東日本大震災発生後、「何かを残したい」と変わり果てた風景の撮影を開始。写真を通じて新たな出会いが生まれ、フォトジャーナリスト・安田菜津紀さんのカンボジアツアーにも参加した。外の世界に触れることで、改めて地元大槌の復興への思いを強くした。

ともにカンボジアを旅したフォトジャーナリストの安田菜津紀さんが大槌町で撮影した釜石さん
(C) Natsuki Yasuda / studio AFTERMODE

きっかけは、震災直後にたまたま見つけたフィルム式の一眼レフカメラだった。津波で被災した母の実家の荷物を整理していた際に、箱の中からたまたま出てきた。かつて祖父が使っていたものだった。既にデジカメを持っていたが、そのシャッター音が気に入り、使ってみようと思った。

震災発生時は、当時通っていた中学校にいた。みんなで近くの高台の老人ホームに避難して、難を逃れたが、津波はすぐそばまで迫ってきていた。やがて母と兄も避難してきた。比較的高いところにある自宅にも直接的な被害はなかったものの、近所まで津波が押し寄せ、電気や水道は使えず、生活は大変だった。「いいよ、お母さん、私が水汲みするよ」。積極的に家事の手伝いをして、家族で助け合った。精神的につらい時期だった。

それでも、「何かできることをやってみよう」と始めたのが、被災した大槌の撮影だ。震災の記憶を残しておきたいと思った。中学校で広報委員を務めていたこともあり、思い切って先生に相談して、「Never give up!」と題した写真付きの新聞を自ら2回作成。その新聞には荒れ地に咲くスイセンの花とともに「人だって花と同じ。おれたって花は咲きます!」とメッセージを込めた。

その後も、流された住宅地や海岸沿いを撮り続けた。海辺で、家の2階部分が堤防に乗り上げている光景を撮影したことが今でも印象に残っている。震災が発生した3月11日にちなんで、自宅の2階から、津波で流された周辺地区がどのように変わっていくか、毎月11日に撮影している。自宅の窓から見る光景は、同じようでいて、少しずつ変わってきている。ガレキが片付けられ、新しい建物が立っていることに気付くこともある。天気のいい日は、海岸沿いを歩いて、写真を撮影することが好きだ。

普段からよく撮影している海辺でカメラを手にする釜石さん(撮影:新志有裕)
釜石さんが自宅2階から撮影した2011年8月11日の光景
1年後の2012年8月11日に撮影。崩れかけた建物はなくなり、雑草が生い茂っている

やがて新しい挑戦が始まる。中学生時代は保健室登校だったため、勉強を頑張ろうと中学3年のころから通い始めた放課後教室「コラボ・スクール」(運営:NPOカタリバ)で、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが主宰するカンボジア・スタディツアーの紹介を受けた。貧しい環境にいながらも、笑顔を浮かべるカンボジアの子どもたちを撮影した安田さんの写真に衝撃を受けた。安田さんがかつて出演したテレビ番組「情熱大陸」を見て涙し、「私も行ってみたい」と無料の高校生チャレンジ枠に挑戦。応募書類には「新たに人と出会い、自分の未来をひろげたい」と書いた。無料枠3人のうちの1人に選ばれ、最年少参加者として今年8月15日から11日間、有料の一般枠の応募者とともにカンボジアを旅した。
 
カンボジアでは、見るもの聞くもの全てが新鮮だった。ポル・ポト政権下で大量虐殺が行われた刑場跡「キリングフィールド」を訪れた時には衝撃を受けた。児童買春・人身売買問題に取り組む「かものはしプロジェクト」がシェムリアップに開設している工房を訪ねて、い草の小物作りも体験した。特に、人の温かさに触れたことが印象に残っている。プノンペンのスラム街での移動図書館活動では、笑顔の子どもたちに出会い、何枚もシャッターを切った。初めての海外旅行だったこともあり、後半からは、体調を崩してしまったが、訪問していたタサエン村の子どもたちがおかゆを食べさせてくれた。同じチャレンジ枠で参加したメンバーも代わりにお土産を買ってくれた。助け合うことの大切さを再確認できた。

プノンペンのスラム街で行われた移動図書館活動で、子どもたちに折り紙を教える釜石さん
(C) Natsuki Yasuda / studio AFTERMODE
釜石さんが撮影したカンボジアの子どもたち

帰国後に書いたレポートでは「カンボジアの人々は輝く笑顔で笑っていた。なぜこんなにも笑顔なのか?毎日毎日生きることに必死で...私だったら辛くて笑うこともできなくなりそう。でも、震災当時を思い出すと、やはり周りにはみんながいるから、家族がいるから、1人じゃないと思ったから、笑うことができた気がする」と振り返った。「今、何をしたいのかはっきりわからないけれど、大槌の復興に携わりながら、自分の道をみつけ、もっと成長してもう一度カンボジアに行きたいです」。海外を体験することで、地元大槌への思いも強くなった。

視野は内から外へと広がる。これまでは撮影することが中心だったが、毎月11日に自宅2階から撮影してきた写真をカンボジア・スタディツアーのメンバーだった高校生の文化祭に提供した。カンボジア・スタディツアーで撮影した写真は、週刊英語学習紙「毎日ウィークリー」でも掲載された。また、今年6月にプロカメラマンらが主宰する被災地支援プロジェクト「I tie 会いたい」の写真撮影ワークショップに参加して撮影した作品が、10月下旬に東京・港区の赤坂サカスで展示されるなど、外の人の評価を受ける機会が増えた。

「コラボ・スクール」の活動の一環で、ガイドプロジェクトに参加して、大槌を訪れた人の案内をする機会も出て来た。震災による火災で付近が焼けてしまったにも関わらず、神社と境内、神輿を無事に残すことができた小鎚神社や、津波の被害を受け、建物だけが残されたままになっている旧町役場などを案内した。「説明するために大槌の歴史を調べて、知らなかったことがたくさんあることに気付きました」。初めて来日したフィリピン人や、フリーアナウンサーの膳場貴子さんなど、様々な人と接して、自分の言葉で伝えた。

大槌での様々な活動について語る釜石さん(撮影:小澤房子)

中学校を卒業した今も、通信制の高校に通いながら、「コラボ・スクール」で運営の手伝いをしている。カメラマン役を買って出て、後輩の中学生たちを撮影することもある。撮影する写真はこれまで風景が中心だったが、人物を中心に撮影するようになってきた。母の加奈江さんは、「昔は話しかけられてもうまく答えることができませんでしたが、徐々に自信がついてきたようです」と語る。

カンボジア・スタディツアー後も、大槌や陸前高田などでたびたび会っている安田さんは、「オドオドしていた昔とは印象が変わりましたね。周りの子どもたちも望鈴の写真が好きだと言ってくれるし、コラボ・スクールでも自分の役割を見出すことができたようです」と成長ぶりを喜ぶ。「飛行機も海外旅行も初めての望鈴が勇気を出したおかげで、他の子もスタディツアーに興味を持ってくれるようになりました。今後はもっと自由に、心の赴くままに表現を楽しんでほしい」とエールを送る。

将来の夢を尋ねてみると「写真を撮ることには興味があります。特に、海外の色々な写真を撮ってみたいです」。もちろん、カンボジアにもまた行ってみたい。「プロのカメラマンになりたいの」と聞いても、うつむきがちに無言ではにかむばかりで、質問を投げかけても、「うーん何だろう、どうだろう」と考え込むことも多かったが、その目はきちんと前を見据えていた。

記事=新志 有裕写真=安田 菜津紀