ジャズトランペットで世界を目指す 大槌高3年・臺隆裕さん

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もの悲しくも、逆境に立ち向かう気骨がにじむ音楽「JAZZ(ジャズ)」。大槌高校3年で、前吹奏楽部長の臺(だい)隆裕さん(18)は、プロのジャズトランぺッターを目指し、来春、ふるさとを後にする。東日本大震災の津波で、本来帰るべき家を失ったまま。

トランペットを吹く臺さん

プロへの第一歩に選んだのは、東京都内の音楽専門学校。技術や知識の基礎を身に着けた後は、楽団に入団したり、ライブハウスを演奏して回ったりするつもりだ。音楽大学への編入学や海外留学も視野に入れる。

もともと、トランペットが好きだった訳ではなかった。中学の吹奏楽部入部時、打楽器志望だったにも関わらず、顧問の恩師から担当を告げられた。「初めから音が出たこともあって…」。練習を重ねるたび、唇がはれ上がり、顔はむくんだ。「辛くて、いつもはやく家に帰りたかった」が、「リズムを刻む打楽器と違い、常にメロディーを奏でるバンドの主役。目立ちたがり屋の自分に合っている」とも思った。

そんなとき、新たに大槌高へ赴任した吹奏楽部顧問によるトランペット演奏を聴く機会があり、音色の美しさと力強さに圧倒された。トランペットをともに吹いていた「憧れの先輩」も大槌高校へ進学。おのずと進路は決まった。

大槌高校の吹奏楽部は、2004年から2010年までコンクールで7年連続県大会を突破する実力を持つ。演奏会の準備や曲目選定、観客を楽しませる仕掛けづくりも生徒主体で進行する。「とにかく自由で楽しい。演奏中、勝手にアレンジを加えても、指揮する先生は笑顔になるし、周りの部員もニヤニヤするんですよ」。

2年への進級を目前に控えていた時、突然、被災者となった。家族は無事だったが、実家は津波で流され、帰る場所が無くなった。まちから約100キロも離れた内陸部へ家族そろって一時避難。友人とは会えず、トランペットも吹けないばかりか、盛岡市内の高校への転校を家族で話し合うようになった。「親の負担を考えると仕方ない」。「友達がたくさんいて、住み慣れた大槌に残りたい」。避難先にあったギターを弾いて気を紛らわせたが「何もできないことが一番苦痛だった」。

その日暮らしから解放されつつあった3月末、大槌に残ることを決め、家族に打ち明けた。反対はされなかった。「レベルが高く、気心の知れた友人たちと、音楽を続けることが必要だった」。両親が「仮設住宅では、練習ができない」からと、アメリカからトレーラーハウスを取り寄せ、それまでの間に居候する友人宅の段取りも進めてくれたおかげで、5月の連休明けから大槌に戻れる見通しが立った。

それでも、焦りは募った。4月中旬、吹奏楽部のメンバー4、5人が、町内で練習を再開したと知った。遅れて開かれた入学式の新入生歓迎演奏には出席できず、代わりに憧れの恩師と先輩が、トランペットを吹いたと聞いた。「トランペットは吹きたいし、友達にも会いたいし。その場に自分がいないことが悔しかった」。

演奏仲間との写真を見る臺さん

演奏する楽しさ、素晴らしさを心から感じたのは、震災後だったのかもしれない。昨年秋ごろから、吹奏楽部への出演依頼が、岩手県内外から舞い込むようになっていた。「演奏を聴いた観客が笑ったり、泣いたりするんです。舞台と観客席の距離がすごく近く感じた」。同じ被災者の生活を案じて楽器を触ることもためらわれた震災後しばらくとは、まったく違う感覚だった。震災から1年9か月で、踏んだステージは50回以上。震災前の年7~8回から、急増した。

目に見える形で結果が表れる吹奏楽コンクールでは今年、2年ぶりに東北大会へ駒を進めた。目標に定めた東日本大会への出場権は逃したものの「楽器を触っている間は、みんな笑顔」。家族を亡くした部員もいたが「部内には楽しい雰囲気と充実感があった」。

観客や部員の反応に加え、音楽の魅力を再認識したきっかけがもう一つあった。県外公演で訪れた神奈川や岡山、広島では、地元高校の吹奏楽部と共演、音楽が縁となって遠方にも仲間ができた。「目をつぶって、ピース!」今、生活をするトレーラーハウス内には、共演者と砕けた様子で写した写真が飾ってある。インターネットを介して、遠方の友人と連絡を取り続ける毎日だ。

「ステージに立ち、観客に音を届ける側にいたい」。今年に入って、強く思うようになった。地元での就職、音響技術者…。家族や今後の生活を考えて悩んだが、プロへの道へ進む決意を固めた。11月には、都内の専門学校が主催するコンテストに出場し、銀賞を獲得。入学資格も得た。

父・隆明さん、母・裕子さんと3人で

11月は、臺君の誕生月。両親からのプレゼントは、トランペットの名器だった。音楽家を招いたコンサートや地元小中高の吹奏楽部を支援する父・隆明さん(50)の知人で、NHK交響楽団のトランペット奏者・井川明彦さん(52)とともに、都内の専門店で選んだ。「まるで違う楽器みたい。吹いた感覚も、音色も。すべて自分のイメージにぴったりだった」。

上京まで4カ月を切った今、これからの大槌とのつながり方を思う。家族や友達がいるふるさとには変わりがないが「演奏の幅を広げて、お客さんから良い反応が返って来るようになるまでは」帰ってこない。都会地と比べ、施設や演奏機会など、音楽を取り巻く環境が整っていない地方を拠点にする厳しさも、分かっている。今後、各地で演奏する機会を使って「東北には、こんなまちがありましたって、観客に伝えることはできると思うけど」。

「ジャズのまち・大槌」。町内でも一般化しているとは思えないイメージ。それでも、隆明さんら音楽愛好家は、胸を張る。50年以上も前、岩手県では初めてジャズ喫茶が開店。小中高の吹奏楽部それぞれが守り続ける県内有数の演奏技術。大槌の吹奏楽は、ビッグバンドの雰囲気で、他地域とは異なる特徴もあった。

復興に向けた新たなまちづくりに、音楽を生かそうと、隆明さんらは音楽ホール「槌音」構想を進めている。地場の木材を使って建設し、収容人数は260人。まちの中核施設として、地域内外の吹奏楽部や音楽家によるコンサート、伝統芸能を披露する場を目指す。建設費用は概算で1億5000万円。既に募金活動も始めたが、構想段階を脱したとは言えない。

いつになるかは分からないが「もし、実現して、自分もプロになることができれば、帰ってくる場所ができる。自分だけでなく、音楽が好きな地元の人も」。

記事=田淵 浩平