「そろそろ来るんじゃないか」山小屋に牛乳やお団子を置いてあった

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

大槌町安渡 越田ミサ 74歳

津波で逃げるときは、人に声を掛けては、ダメだと。ついつい、立ち話になってしまうから。とにかく一目散に避難して、そして、1回避難したら、絶対に帰ってこない(ようにしろ)と。常々、言われてきた。言い伝えがあった。

流された自宅の跡に立つ越田さん。花壇で薔薇などの花をたくさん育てていたという

3月11日は、8人家族のうち、5人の女が全員、家にいたんですよ。「あ、これはただごとの地震じゃない」と思った。孫が2階にいたから、柱につかまりながら「なんで早ぐ降りてこないのよ-」って(孫の)名前を呼んだの。孫は「たんすとか、物が転んで、なんぼ叫ばれても降りて来れなかった」って。その後、降りて来たから「よし、ばあちゃんは年寄りで走れないから、もう避難するからね」って言って、すぐに出たんですよ。

津波は、新幹線並みの早さ。避難している途中に、黒い渦がうわーって目の前通ったの。それを見て「もうこれはだめだ」と思って、またさらに上に上がった。もー必死だから、あのときは、何も考えらんないよね。本当に早かった。第2波だか3波だかわかんないけど。黒いんですよ。

ちょっと上がって見てきたうちの娘は「大きい津波だー。すごい大きいの来たー」って騒いで。いつも避難する場所に、5、6人がいたから「なんか大きな津波、来たんだってよー」って、逃げるよう言ったけど、その人たちは話で夢中で聞こえなくてねー。だいぶ騒いで、ギリギリだったそうです。うちの娘もギリギリ、その人たちもギリギリ。

実は、途中、嫁さんが「ばあちゃん、私、上着忘れたから家に帰ってくる」って言いだしたんです。「だめだよー。1回避難して、帰ってきた人ないんだから、行ぐなー」って、怒って。だけど、やっぱり年若いから、行ってしまって、帰って来てから「もし帰って来なかったら、あんたの親たちに、どんなお侘びしたらいいか。侘びたって、侘びたって、侘び足りないんだよ」って、また怒りました。

越田さん一家が避難した山小屋。備蓄のための倉庫などもあった

避難先は、自分たちの山に建てていた山小屋。津波や大きい地震があったときは、そこに避難すると、家族で常に言っていた。消防団にいたうちの娘の旦那からも「堤防があると思ってのんきするなよ」と言われてだったしね。大きな津波がきたら、あの堤防は役に立たないからと。

山小屋は、旦那が定年退職してから、自分で木を切って作ったんです。ちゃんと電気も引っ張って。やっぱり、チリ津波にも遭っているから、万が一何かあったときに。

食糧は、しばらく食べるくらいはありましたからね。ストーブも持って行ってて。灯油もいっぱい買って、旦那に「1缶山に持ってってちょうだいね」って言ったら、いつもはちょっとしか持って行かないのに、そのときに限って、1缶持っていった。(地震は)その次の日。それと(山小屋は)水のないところなんだけど、箱に30本以上、置いてあったし、冷蔵庫に、牛乳とかお団子とかも、置いてあった。

何なんだろうね。いや「いつかは」と。昭和8年にも津波があったし「そろそろ来るんじゃないか」という予想はあった。まさか、こんな大きいのくるとは思わなかったけどね。なんかね「備えあれば憂いなし」というか。山小屋のおかげで助かった。3月29日まで、家族で過ごした。

山小屋に上がる道をたどる越田さん。かなり急だ

恥ずかしいこと言うんだけども、子どもたちが小さいときは、避難訓練で一緒に避難していたの。みんなおっきくなって、自分だけしかうちにいない状況になってからは、恥ずかしいんだけど、避難訓練してなかったのね。だけど、今回は、最初から、もう絶対に大津波と思った。私は津波を知らないけど、年配の人たちの言い伝えを知ってたから「もう何が何でも、逃げなきゃだめだ」という頭しか、ながったよ。

だから、なんで、あんなおっきい地震で、逃げなかったんだろうって。家の付近の人たちもだいぶ流されてんの。うちの娘が「おっきい津波が来るそうですから、逃げましょう」って言った人も、家の中に入って、逃げなかった。で、流されたの。もう、ね。あと、やっぱり、戻った人は、助からない。携帯忘れたとか、上着忘れたとか。そういう人は、戻ってこなかった。

繰り返しになるけど、だから、なんで、あんなおっきな地震で、逃げなかったんだろうなー。失礼かもしれないけど、亡くなった方たち、なんで、なんで、逃げなかったんだろう、って、私はそう思います。

<取材を終えて>
急な坂道を10分ほど登って着いた「山小屋」は、立派な一軒家で、水や食糧、灯油が常備してあった。避難訓練をしていなかったことを恥ずかしいと表現し、地震後はすぐに逃げるなど、越田さんの意識の高さに「すごい」と驚いてばかりだった。その越田さんが、インタビューの後半、繰り返した「なんで」。悔しそうに問いかける声が忘れられない。

記事=田中 輝美写真=末澤 弘太