平和の舞、今こそ受け継ぐ 金澤神楽愛好会・太田未彩希さん

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天岩戸に閉じこもってしまった天照大神を、再び外に誘い出し、世の中が光と平和を取り戻す一助となった、長鳴鳥(ながなきどり)。大槌町の金沢地区に伝わる金澤神楽の「鶏子舞(とりこまい)」は、この天岩戸伝説の長鳴鳥の様子を描いている。皆が再び明るく穏やかな生活を取り戻せるように。金澤神楽愛好会の太田未彩希さん(25)は、その思いを込めて舞い、継承に取り組み続けている。

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2月11日の大槌町郷土芸能祭で神楽を舞う太田さん

2月11日に開かれた大槌町郷土芸能祭で、金澤神楽はトップバッターを務めた。真っ赤な上衣、光沢のある袴が照明に浮かび上がり、ひときわ目を引く。張りのある太鼓と笛の音が響く中、太田さんら5人の踊り手が掲げた扇子から、キラキラと米が飛び散ると、会場からは拍手がわき起こった。

大槌町では、地域ごとに多くの郷土芸能が受け継がれている。鹿子踊(ししおどり)、虎舞(とらまい)、手踊り。それらが一堂に会し、町が最もにぎやかになるのが、9月に2日間にわたり開かれる大槌祭り。「大槌の一年は祭りに始まって祭りに終わる」といわれるくらい、住民たちの楽しみでもあり、参加者にとっては晴れ舞台でもある。  

金沢地区は、大槌町中心部から約10キロの山深い内陸にある。江戸時代には金山発掘が盛んだったが、現在は先祖代々の田畑を守る兼業農家の多い地域だ。金澤神楽は、200年以上前に旅人が伝えたのを地元の踊り手たちが受け継ぎ、発展させていった。戦後間もない頃までは、冬に宿場を回る巡業もしていたという。巡業を終えて大槌祭りへの参加が主になると、祭りの形式に合う鶏子舞だけが踊られるようになり、継承者も減り始めた。神楽の踊り手は男性だけだったが、愛好会が作られた1978年ごろからは、女性も務めるようになっていった。  

太田さんは、愛好会で金澤神楽を受け継いできた佐々木家の出身。囃子手の祖父、踊り手の祖母、母に囲まれ、「どう習ったかも覚えていない」くらい自然に踊りを覚え、2、3歳の頃から舞台に立ってきた。その太田さんでさえ、元々12あった金澤神楽の演目のうち、踊れたり知っているのは4種類。他は実際に見たこともない。  

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舞台用に太鼓の音を調節する保存会の人たち

金沢を離れ吉里吉里や沢山で暮らしていた時も、練習があれば金沢に通い、祭りの時は欠かさず神楽を舞っていた。ただ、大槌祭りは2日間歩きながら舞を披露するため、踊り手だけでなく太鼓や歌を担当する囃子手も体力的にハードな行事。高齢化や、亡くなった人が出た年は参加しない「忌み」が重なるうちに、参加者は減っていった。太田さんが高校生になる頃は、保存会の会長に手紙を書いたり、祖父に頼み込んでようやくぎりぎり参加を続けるまでになっていた。「祭りが好きで、鶏子舞を楽しみにしてくれる人もいて。出るためにも神楽を守らなくちゃと思った」ものの、多い頃は20人近くいた踊り手は、東日本大震災前には、太田さんも含め4人だけだった。  

2年前の3月11日に地震が町を襲った時、太田さんは2週間前に生まれたばかりの次男らと実家にいた。あわててやや内陸にある自宅へ避難したため、直接津波を見ることはなかった。しかし、自宅の電気や水道は止まり、実家にあった買い置きのおむつなどはみな流されてしまった。ミルクを作るための湯もわかせない。避難してきた両親と洋服を重ね着して眠り、目が覚めるたびに「これは夢じゃないのかな」と思う日が続いた。  

震災後に最初に踊ったのは、わずか2カ月後の5月だった。避難所となっていた金沢小学校で、慰問のためのコンサートが開かれるので、合わせて鶏子舞を披露することになったからだ。現実を受け入れることも苦しかったこの時期に、なぜ踊る気になれたのか、分からない。「ただ自分も何かしたいという気持ちも確かにあった。それで何ができるだろうって考えたら、踊ることしかなかった」  

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町内の集会所で行われている金澤神楽の練習風景

神楽の動きは、見た目よりも体力を使う。腰を落とし、指先、つま先まで神経を使い、練習でも10分弱ほどの鶏子舞を踊り通した参加者は、みな大きな息をしている。中でも金澤神楽の鶏子舞は、大きく身体を回したり跳んだりする場面があり、町内の神楽でも動きが激しい方だ。大槌祭り後は、太田さんも体重が3キロ減るという。  

その特徴が、チャンスを呼び込んだ。震災から1年あまりが過ぎた昨年5月、AMDA大槌・健康サポートセンターから、「鶏子舞DEエクササイズ」という体操として教えないか提案されたのだ。実は、動き自体は舞そのまま。太田さんも最初は半信半疑だったが「宣伝も兼ねてやってみたら」と勧められ、挑戦することにした。習った記憶もない踊りを、どう教えれば伝わるか。初めての立場に、迷うたびに自分で踊り、動きがどの筋肉に効くかなどを交えて説明した。金沢地区以外でも習う機会が出来たことで、自分でも神楽を舞いたいという人が現れ始めた。  

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子どもたちに神楽を教える太田さん

そして、その年の大槌祭り。震災前と同じ、町内を回りながら舞を披露する形での開催が決まった。ステージ上なら少人数でも舞えるが、街頭では人数が必要だ。教室の参加者たちが踊り手に加わり、友人やボランティアが運営を手伝ってくれた。「前はただ好きで踊っていたけど、震災で大槌が有名になってしまい、ここだけの祭りじゃなくなった。町が元気になったことを町外の人に伝える場でもあるんだと、見てくれる人に希望の光があるようにと思いを込めるようになった」。世界に光が差し、平和に暮らせるようになるという、鶏子舞の意味をかみしめた。冬を迎え、練習場所を集会所に移した。年末からは毎週練習会を開き、子供から大人まで、鶏子舞を習いにやってくる。

最近、3歳の長男が神楽に興味を持っているという。「おれ虎の方が好きだから」と、対象は金澤神楽ではないようだが、それでもうれしい。息子用のはかまを自分で作ってみて、衣装や道具の技術もまた受け継いでいかなければならないことを実感している。「町を出たかった頃もあったし、震災後も悩んだ。でも今は神楽がある。町にいて良かったんです」

記事=結城 かほる