これで死ぬんだったらタバコ一本吸いたいな

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大槌町大槌 佐々木嘉一 42歳

店に顔を出してから、家に戻ったんですよ。ちょっとお酒好きだったもんで、いろんな洋酒とか集めていたもんだから心配で。水が入ってきて、慌てて出ようとしたら車も流されて。

自分は車で外回りをしていて、妻は店(クリーニング店)にいたんです。安渡(地区)から町に向かって別のお客さん回ろうとしたときにすごい揺れだったので、一回(店に)戻ろうと。2~3分で着く距離だったんだけどすごい渋滞だった。店に顔を出してから、家に戻ったんですよ。

流出した店の付近で、当時の状況を説明する佐々木さん

うちはショッピングセンター(マスト)にも店を出している。俺は自宅に戻るから、かみさんとおふくろは、店の近くのふれあいセンターに逃げろといったんですよ。2人は、ショッピングセンターの店が心配だから車に乗って行こうとしてたんですよ。国道に出ようとしたら、知らない人が「ダメだよ(渋滞で)」とストップしたんですよ。行かれないからやめろといわれて、渋滞で車を捨てて戻ろうとした。そこでもしスムーズに行けたらダメだったと思う。

電気がないから情報がこない。電話も通じないものだから、ラジオだけ。車に戻ってラジオ聞いて家に入って、と3回くらい繰り返して家から出たり入ったり。ラジオで、釜石で津波1メートル、と。じゃあ大丈夫だってことで、とりあえず、家の中に入ったんですね。

水が入ってきたときに、津波だと思ったんですよ。そこで慌てて出て、玄関まで出てきたときは腰くらい浸かって、どうにか(玄関のドアに)足掛けて屋根にあがったんですよ。結果的には、天井近くまで水が上がったんですね。長く感じましたよね。それでも3分か5分くらいじゃないですか。

天井近くまで浸水した佐々木さんの自宅

突拍子もないことを考えたのは、自分たばこやめて7年たつんですよ。あ、これで死ぬんだったら一本吸いたいな、とか。お酒、なんでも好きなんですけど、かみさんの親父が漁師で、外国いってブランデーとかスコッチとか買ってきてくれるんですよ、それをいいときに飲もうというか。それが心配でもう「もうだめかなぁ」と。

その後、まず(1回目の)津波がある程度引いたんで、携帯だけ持って高台に行ったらば、2回目の津波が来た。そのときちょっとでも、30秒でも逃げ遅れたら、中でもまれてだめだったでしょう。

逃げ場がなくて。とっさに出たんで、あとは何にも覚えてないですよ。高台に行って冷静に思って、あれ、どういう状況なのか、把握できない。がれきで車も通れない状態。町中では、たいてい木造の家は家ごと流されて、ここは川(沿い)で、津波の勢いが弱かった。家が残ってくれたから助かった。家も流されていたらもまれて死んだでしょう。

(高台に上がった後)たまたま知り合いの2人が来たので、大槌高校まで行ってみれば家までいけるのではないかと、山越えていったんですよ。高校に行ってみたら、とんでもないような状況で。冷静に考えればこっちがこんなになっているんだから、向こう(町中)はとんでもない状況ですよね。

避難ルートを振り返る佐々木さん

高校に行ってどきっとしたんですよ。町が町じゃないから。ただ「ふれあいセンター大丈夫だぞ」という声が聞こえたんで、家族は大丈夫かなと。別れるときに「ふれあいセンターに上がるから」と別れたんで。だれかがそういう声を上げたんで、まずは助かっているんだろうと。電話かけたけどだめでしたね。

高校から戻ってきて、軽トラックあるけどどうすると、もう夕方だったんで、車のライトが上がって行くのが見えたんで中央公民館に行った。行ったら、おふくろと、かみさんが逃げていたんですよ。いないと思っていた、そこで再会した。

夜を明かしたのは中央公民館でした。公民館にも火事が迫っていた。夜もずうっと町が燃えていたんですよ、小学校も火がついていた。中にはね、寒いし、自分も濡れてるし、雪も降ったし、暗幕あるよね、防災用の毛布あったんですが、町の役場とかにおいていたんですよ。公民館にそんなのないから、暗幕とかやぶいてひざにかけたり。

妻が普段はちゃんと避難リュックを用意していたんだけど、それを家に置いていたんですよね。震災後だよね、みんな車に最小限のものを積むようになったのは。妻も、あそこ(自宅)まで来ないと思ってたんだろうね。

薬飲んでいる人は、薬とか持って行かなくちゃ、と思っただろうし。その前の2010年の大津波警報でも1メートルとか、そんなもんだべと。昭和8(1933)年の3月3日も、5メートルくらい。町中床上浸水くらいで、それを踏まえて堤防をつくったから、まさか、それを超えてくることはないだろうし、警報解除になれば戻れるなと。だから、妻も片付けの心配してた。

自分なんかたいした経験していない。でも家の中にいたら終わりだった。靴流されそうになって、とっさにそれだけ拾って、水の中で靴をはいて、ぱぱぱと上に上がった。火事場のなんとかっていうでしょう、多分そうだと思いますよ。何日か後に体をふくときにみたら、あざだらけ。いろんなものがぶつかってる、それ覚えていないんだよね。いろんな流れるものにぶつかって。ドアノブに足掛けて。普通だったらば屋根には上がれない。運がいいんですよ。

ドアノブをうまく使うことで、屋根に上がることができた

ひどい思いした人がいっぱいいる。家ごと流されて、気がついたら手が出たから、つかまって助け上げられたとか、そういう人がいる。

十何メートルの津波がくるなんて、一切言ってないから、津波が来てびっくり、という人たちが死んでいる。だんだん上がって行ったが、十何メートルがくるなんて誰も考えてないから。お寺も危ないから、逃げろ、逃げろと言ったみたいなんだけど、まさかここまでということと、疲れて逃げたくないってことで。上まで上るのがしんどい、という方が亡くなってしまった。

けど間違いなく、今度はみんな逃げますよ。東南海地震、確実に来るんでしょ。近いうちに。絶対に、逃げることですよ。

気づかなかったかもしれないけど、自分の家のところに「津波浸水地域」看板が建ってるんですよ、本当にそこで止まりました。看板たてるときに「来るわけないじゃん」と話していたんですけど。

今度、町の計画では14、5メートルの防潮堤プラス商業地域に土盛りをするから、大丈夫だというんですよ。でも堤防、別にいらないんですよ。とりあえず逃げるルートだけつくってもらうと、こういうのが来たら、同じことですからね。逃げるところがあって、また住める状態にしてくれれば。自分らは家族親戚大丈夫だったけど、友人も知人もかなり亡くした、それがつらい。やっぱり生きてなんぼだから。

自分は(一昨年の)7月に仮設が決まって、浪板に暮らしています。お店は12月5日にオープンしました。マストの店もやってます。クリーニングは花巻の親父が修行していたクリーニング屋さんに外注してます。5年間はやってくれると言ってもらっているけれど、息子の代になってますし、(元あった場所に再建するにしても)今は規制があってクリーニングの工場はできないみたいなんですよ。再開するとしたらプレハブでも設備を作るのに3000万円くらいかかる。町の方で計画出ているんですが、見通しがたてられない。5年くらいやってみて、成り立たないとなればやめるかもしれない。でも、とりあえず今の段階では、仮設にいる間はやってみようと。仮設店舗は2年間だけど、延長申請はしようかなと思っている。

<取材を終えて>
取材時点ですでに1年半前のことだったが、佐々木さんからは、まさに移動した経路をたどって克明に「その日」のこと、そして「その後」のこと、これからの町づくりへの懸念についても率直に語っていただいた。お酒をはじめ「家が心配だったから」佐々木さんは家に向かった。「真剣に」逃げようとして、いろんな物を持ち出そうとした人もいたという。亡くした知り合いは「逃げなかった人」、それがつらい、という言葉に考えさせられた。

記事=小泉 忠之