「大槌をシリコンバレーに」帰郷して挑む 「KAI」ディレクター 三浦理恵子さん

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

大槌を、ベンチャー精神にあふれたITの拠点、米国・シリコンバレーのような存在にしたい ̄。大槌町と関西大学(大阪)が連携して生まれた、スマートフォンなど向けのアプリケーションを開発する一般社団法人「KAI(カイ)-OTSUCHI」(大槌町大ケ口)のディレクター、三浦理恵子さん(26)。盛岡での仕事を3月末に辞め、5月に大槌にUターンする。被災地「だから」任されるのではなく、大槌「じゃなきゃ」できない仕事を全国から引っ張ってくる船頭役になろう、と心を決めた。

miura1
「古里に元気を増やしていけたら」。一つ一つ、真摯に言葉を選んで話してくれた

三浦さんを取材したのは、まだ桜のつぼみが固い3月末。大槌の町を高台から見渡せる公民館で、三浦さんは「この1年足らずの間に、縁が縁を呼んで、すごいスピードで人生が動いています」と笑っていた。雄弁なタイプではない。一つひとつ、言葉を真摯に選んで質問に答えてくれる姿が、印象的だった。

携帯端末向けのアプリの開発を大槌に呼び込もうと昨年8月に設立されたのが、KAIだ。それまでアプリの制作が未経験だった三浦さんたち3人が今年1月、第1弾として森田誠二さん原作の絵本「インディアンの森」を電子書籍化し、iPadなど向けのアプリとして無料配信を始めた。主旨に賛同した森田さんが、出版社などの了解を取り付けて、無償で電子化が実現したのだった。

三浦さんは子どものころ、父の転勤で釜石や大船渡など沿岸部を点々とした。祖母のいる大槌町で暮らしたのは2歳ごろまで。海辺の景色が、いつもそばにあった。大学は、絵画を学ぼうと岩手大学(盛岡市)に進んだ。ただ在学中、仲間と一緒に大学生向けのクーポン誌の創刊を手がけたのをきっかけに、デザインや情報通信の世界に関心が移る。大学では最終的に映像メディアを専攻し、2009年春、盛岡市内で広告写真のアシスタントに就いた。

実は、就職活動中に東京の技術系企業の内定を得ていた三浦さん。けれど、その秋、世界経済を混乱させたリーマン・ショックを目の当たりにした不安から、岩手での就職に切り替えた。「県内ってやりたい仕事がない、だから東京で、って思ってたんですけど、見てなかっただけだったんだ」というのが実感だったという。広告写真を選んだのは、将来的にデザインやインターネット、写真などを織り交ぜて何かを創りたい、という思いから。でも、その「何か」はまだぼんやりしたものだった。そして「震災がなければ、大槌に帰る、なんて考えもしなかった」と振り返る。

miura2
三浦さんたちが手がけた電子書籍「インディアンの森」の一部

震災の日、陸前高田市出身の社長のカーナビでニュースを一緒に見て、言葉を失った。停電が復旧してからは、余震が続く中、友人と肩を寄せ合ってテレビ映像を見続けた。祖母の家は海の目の前。涙が止まらなかった。「よく知ってるあの街、あの景色が。ショックでした」。後に、祖母は避難していて無事がわかったものの、家は津波で流されてしまった。

違和感を覚え始めたのは、いつからだろう。被災した沿岸部に県外の支援の人々が絶えない一方で、盛岡の街は日常を取り戻したように見えた。「同じ県内なのに、沿岸の町が忘れられているようで」。心に刺が刺さるような感覚を抱えながら、初めて自分の中の「古里」を強く意識した。

ただ、大槌のために何かをしたい、という思いと同じくらい、変わってしまった景色を直視し切れない自分もいた。祖母の家があった集落は、浸水でしばらくは近づけない状態でもあった。「大勢やってきた報道の人たちが、津波の跡にカメラを向けるような視線では、見つめられなかった」。自分に何ができるのかわからないまま、盛岡の地で、もどかしさだけが募る日々がしばらく続いた。

miura4

ちょうど昨春、大槌町には、関西大学や、大阪市内にある「アーティフィス」と「アプリル」のアプリ関連2社からITの人材育成や起業を通じて支援をしたい、という声が舞い込んでいた。当時、町側には「仕事があれば帰りたい」とUターンを切望する出身者の声が相次いでいたが、働く場は圧倒的に足りない。ジレンマを抱える町は、自ら雇用を産む産業をつくろう、と昨年7月、大学と連携協定を結んだ。

ソフトウェア業界の流れも、賃金が安い海外に開発を外注する「オフショア」に対して、意思疎通がしやすい国内の地方へ委託する「ニアショア」という手法へ注目が集まっている。その中で、「KAI(カイ)-OTSUCHI」は、高度成長のころのように「都市や工場へ人を送り出す」のではなく、町へ仕事を呼び込む受け皿としての役割を期待されたのだった。

知人からこの話を聞いた三浦さんは、プログラミング研修の第1期生に手を挙げた。プログラミングはまったくの未経験だったけれど、「今まで学んできたことが活かせるかもしれない」という思いが後押しした。昨年8月以降、仕事以外の時間はすべて勉強。盛岡を離れられなかったため、インターネットの学習システムを活用して、同じ内容を受講した。三浦さんを「おっとりタイプ」と見ていた周囲が「鬼気迫るほどだった」と驚くほどの没頭ぶりで。「大槌をシリコンバレーに」「東京以上の仕事をやってやろう」と語る仲間の情熱も、支えになった。

miura3
プログラミングを学ぶ三浦さん

三浦さんは4月から「KAI(カイ)-OTSUCHI」の正社員として、支援してくれている大阪の企業で研修を受けている。5月からはいよいよ、大槌を舞台に、既に受注しているアプリの制作や研修生の指導を始める。ただ、津波で浸水しなかった土地への移転の需要が集中しているため、町内での家を確保するめどがついてないのが目下の悩みだという。今年1月1日時点の公示地価は、大槌町の調査地点が全国2位と5位の上昇率を記録している。

これから何をしたいか。志を共有できる同世代と語り合う中で、アイデアが次々浮かんでくる。大槌の子どもたちに、プログラミングやデザインを通じてものを創る楽しさを教えたい。「私も昔そうだったけど、『外で就職しなきゃ』でなくて、『地元でもこんなことができるんだ』っていう自信を持ってもらえたら」。デザインや情報通信技術(ICT)の力は、都市からの物理的な距離を、大きく言えば国境さえも、超えさせてくれると信じる。「今は『被災地』だから寄せられる仕事もある。でも、急いで実力をつけて、私たちだからこそ任せられる仕事を増やさないと、次へは進めない」

法人の名前の「KAI」には「会」「海」「櫂」などの意味がある。ロゴマークは、三浦さんがデザインした。込められた思いは、海辺に人が集い、自らの手で明日へ漕ぎ出す、そんな未来予想図だ。「OTSUCHI」の名は、被災地として海外でも有名になってしまった。だからこそ、その古里で「ほら、私たちはこんなに元気になってるよって、プラスのイメージの大槌を発信したい」。はにかんだ笑顔に、静かな意志がにじんでいた。

記事=山本 洋子