<検証・復興への道 第8回>旧役場庁舎 前途多難な一部保存方針

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大震災津波で当時の町長をはじめ幹部職員ら40人が犠牲となった大槌町旧役場庁舎。碇川豊町長は3月28日「二度と悲劇を繰り返さないため、遺構も保存することが重要」として、玄関周辺や時計など正面部分を一部保存したい考えを表明した。遺族職員を交えた検討委を設け、町民から広く意見を募るなどしての「最終決断」。しかし、町民の意見はほぼ二分し、保存を求める請願を二度にわたり不採択とした議会が保存関連予算をすんなり可決するとは考えられず、一層厳しい議論や曲折をたどるものと予想される。

大震災津波で町長をはじめ幹部職員ら40人が犠牲となった大槌町旧役場庁舎

4500人の現状保存請願を不採択

旧庁舎の保存を求める運動は2011年の秋始まった。復興ボランティアとして大槌を訪れていた大阪の英語塾代表・坂本真一さんが中心となって「大槌被災現場永久保存実行委員会」を組織し請願署名運動を町内外で展開。「津波の怖さを一目瞭然で後世に伝え、子孫の命を守る」ため、旧庁舎だけでなく、周辺の損壊車両や散乱物も現状のまま永久保存するよう求める署名を約半年を掛けて約4500人集めた。

しかし、町議会は昨年6月13日、同請願を審査していた総務常任委員会の後藤高明委員長が「遺族の思いや建物の維持管理、今後の復興に向けたまちづくりなどを総合的に判断した結果」として不採択にすべきと報告し、本会議でも賛成少数により不採択とした。翌月にも同様の請願が出されたが、町議会は昨年12月の定例会で同様の審査結果により再び不採択にした。

請願不採択で解体への流れが強まったかに見えたが、碇川町長は10月、「幅広い見地から検討するため」として大学4教官のほか、町議会の正副議長、職員遺族2人、大槌高生2人、職員組合書記次長を委員とする「旧役場庁舎検討委員会」を立ち上げ、職員遺族40人を対象にしたアンケート調査も行った。

旧庁舎の今後を考えるため、昨年11月10日開かれた「旧役場庁舎検討委員会」の初会合

職員遺族「解体を」49%「保存を」38%

11月10日の検討委初会合で示されたアンケート結果によると、回答37人のうち、「解体すべき」18人(49%)、「保存すべき」14人(38%)、「どちらともいえない」5人(13%)。「解体」が支配的意見ではなく、職員遺族はさまざまな思いを抱いていることが明らかになった。

解体を望む理由で最も多かったのが「旧役場庁舎を見ると親族を思い出し精神的に辛くなる」(16人)。一方、保存を望む理由では「災害の記憶を風化させないため」(13人)が最多で、保存方法では「全部分の保存」が9人で、碇川町長が方針表明した一部保存方式は1人にとどまっていた。

検討委は、町民から公募した意見も反映させながら計3回開かれたが、保存・解体をめぐる論議はほぼ平行線。碇川町長に3月15日提出された報告書は当初の想定通り保存か解体かの結論を示さず、①犠牲者鎮魂の場の設定②後世への伝承・防災教育の必要性②歴史を踏まえた旧庁舎周辺の公園整備を提言するにとどまった。

旧役場庁舎の一部保存方針を発表する碇川豊町長

解体意見に配慮し「苦渋の決断」

碇川町長は3月28日の記者会見で、一部保存とした理由について「(旧庁舎の)建物が結構大きく、見たくない人への配慮、今後の維持管理等も考え、一部保存でも防災教育の点で、十分津波の恐怖を後世に伝えられる」と強調し、さまざまな解体論に気を配った「苦渋の判断」であることをうかがわせた。今後は、自治体の裁量で柔軟に取り組める国の復興交付金効果促進事業制度を活用し、保存に向けた調査を行いたいと説明した。

「防災教育施設に」「若者の負担に」

税務課勤務だった一人娘の芳子さん=当時(33)=を亡くし、検討委員として「後世に防災意識を常に持ってもらうために何か目につくものを」と保存を求めていた上野ヒデさん(70)。一部保存の方針について「全部残すことに意味があると考えていたが、一部でも残してくれるのであれば防災教育ができるぐらいの施設として残してほしい。大槌に人を呼び込むという意味でも(旧役場を)残した方が足を留めてくれる」と評価した。

福祉課勤務だった兄健さん=当時(29)=と父母を亡くし、検討委では「見るのが嫌だし行くのも辛い。どうしてあそこで対策本部を開いたのか、憎しみが湧いてくる」と早急な解体を強く求めていた倉堀康さん(29)。「ふに落ちない。一部残して津波の怖さは伝わらない。町全体が被災していて役場を残さなければいけないものなのか。残せば、これからの若者に負担になる。津波の怖さは写真や映像でも伝えられる」と疑問を投げかけた。

検討委の委員長を務めた豊島正幸・岩手県立大教授(環境政策)は「後世に伝えていくべきことや、旧役場庁舎敷地の整備のあり方について、これから町民が語り合って進めていくことが必要。町長の決断は、決して終点ではなく、町民がスタート地点に立ったといえる」とコメントした。

他自治体でも板挟み、再検討も

他自治体の状況を見ると、賛否両論の板挟みとなり再検討するところも出ている。岩手県内では、陸前高田市が今年2月、職員ら100人以上が犠牲になった旧市役所をほぼ解体。宮古市は、6階建ての4階まで浸水した「たろう観光ホテル」の保存に向け復興交付金による調査事業を実施。宮城県では、南三陸町長が防災対策庁舎を津波被害の象徴として保存する意向だったが、職員遺族の反対で転換。それでもなお保存や解体延期を求める陳情に揺れ動いている。石巻市教委は昨年11月、門脇小校舎を解体する方針を固めたが、保護者から異論が出され再検討中だ。

保存が想定されている玄関周辺や時計など旧庁舎の正面部分

影薄い「役場=生活守る拠点」

大槌町旧役場庁舎検討委の議論の中で「旧役場庁舎をどのような存在、位置付けとして整理すべきか」という論点に対し、委員や町民からは「納税や手続きの場所」という意見が目立った。地域住民の生活を守る拠点として位置付けるような意見はなかった。

どうして旧役場は、その役割をほとんど果たせなかったのか、住民に深い悲しみや憎しみをもたらしたのか、復旧復興をけん引すべきだった幹部職員の多くを失ったのか。もし「生活を守る拠点」から議論を出発すれば、これら問いを抜きに旧庁舎は語れなかっただろう。世代や地域を超えてしっかり伝えるべき教訓は旧庁舎全体にまだ眠ったままだ。

■旧役場庁舎
1954(昭和29)年、新町1番1号に建設され、当時中心部だった上町から移転。東日本大震災による津波は2階天井まで達し、地震発生直後から庁舎前で災害対策本部を設置し業務に当たっていた加藤宏暉町長をはじめ幹部職員ら40人が犠牲になった。庁舎内の書類や備品はほとんど撤去されたが、コンクリート建造物は激しく損傷したまま放置され津波の痕跡を生々しくとどめている。庁舎前には献花台が設けられ、町内外から訪れ手を合わせる人が絶えない。立地する場所は居住が適当でないとして「防災集団移転促進事業区域」に設定され、公園整備などが計画されている。

記事=松本 裕樹