復興のヒント、インドネシアで見つけた 大槌の高校生・刈屋さん、坂本さん

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インド洋沿岸で約30万人の津波犠牲者を出した2004年12月のスマトラ島沖地震。釜石高3年で大槌町に住む刈屋知子さんと坂本那奈恵さんが今年3月、その最大被災国インドネシアを訪ねた。被災地の思いをどう残していくか、復興世代と言われる高校生が「復興」と向き合った。

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インドネシアを訪れた刈屋さん

2人が参加したのは、大槌などで復興支援に取り組んでいる国際NGO(非政府組織)グッドネーバーズ・ジャパンが企画・募集した研修プログラム「三陸の高校生インドネシアをゆく~故郷の復興を探る旅~」。刈屋さんや坂本さんら16人が3月17日から12日間、同じ津波被災地の現状や津波被害を伝える取り組みを学び、故郷三陸の復興や自分の将来を考えた。

一行はアチェ州都バンダ・アチェ市を巡り、2011年に開館した津波ミュージアムを見学。19メートルの津波を体感できる部屋、震災直後の街や遺体の写真が飾られている展示室、当時の津波映像。「津波はどこでも同じだ」との言葉が研修生から漏れた。

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津波ミュージアムで被災当時の映像を見て、スタッフから説明を受ける坂本那奈恵さん(右から2人目)=3月18日、バンダ・アチェの津波ミュージアム

「この街に津波が来た」ということを伝える遺構が街中に残されていた。流された船、被災した病院、4万6千人以上の犠牲者が埋葬されている集団墓地、被災直後の写真を飾るイスラム寺院。

津波で流された船は建物に乗り上げたまま残され、周りを鉄骨で補強。間近に見られるように展望台まで用意されていた。隣には被災民家も残され、被災直後の写真が室内に数多く展示されていた。

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津波で流された船を見学する一行=3月18日 バンダ・アチェ市内

観光船「はまゆり」が民宿に乗り上げた赤浜地区に住む刈屋さんは心が揺れた。震災直後、町外の人が「はまゆり」をたくさん撮っていった。見世物みたいで嫌だった。ボランティアで来ている人たちが町内でご飯を食べて帰って、お金を町に落としてもらえば良いという考え方もあるし、地元を知ってもらえることは良いことだと思う。でも私たちが暮らす場所に興味本位で来てほしくない。津波を思い出させる遺構を残すことにはじめは反対だった。

「船と同じ高さに上れるのは貴重だと思った。津波がここまで高かったのだということを知ってもらえる」と気付きを得た。「でも、私たちが体験した津波の恐ろしさをどう伝えるかは自分たちで考えなければならない」

被害の大きさが分かる写真を展示したり、津波を体感できたりするような津波ミュージアムもつくりたい。でも、津波を体験していない人に、「被災地の思いや悲しみ」も含めて伝えられるだろうか。刈屋さんは伝える難しさを痛感した。

一行は、バンダ・アチェ市から約300キロ離れたムラボ地区も訪問。海が目の前の自宅で家族9人が流されたという女性は「絶対に自然災害を恐れないで。でも準備は怠らないでほしい。どこに行っても自然災害はある。津波が来たらどのようにすれば良いか、私は経験から学んだ。私はこれからもここに住む。生まれ育った場所を離れる理由はない」と話した。

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ムラボ地区で現地の高校生と交流をする刈屋知子さん(左端)=3月20日、Suak Ribee海岸

坂本さんは胸を強く打たれ、津波体験を語り伝える大切さを知った。あんなに海が近く、それも被災したところに住みたくない。でも「生まれ育った場所を離れる理由がない」という言葉に不思議と納得できる自分もいた。生まれ育った場所が特別だという思いは同じだ。ムラボの女性から「皆さんもつらい経験をしたと思うけれども、皆さんはまだ若い。未来に向けて歩んでほしい」と励まされた。

坂本さんは「最初、復興には一人一人の小さな力が大切だと思っていた。でも、研修中、皆で何度も意見交換をした時、復興への思いがバラバラだということに気が付いた。そのバラバラな意見をまず共有すること。復興にはまずそれからしなければいけない」と振り返り「今の自分では大きなことはできないが、誰かのためになるのであれば積極的に参加したい。被災を語り継ぎたい。将来は国際関係の仕事につきたい。震災で国と国との絆の深さに感動した」と話した。

刈屋さんは「いま自分にできることはインドネシアで見たこと、感じたことを伝えること。まずは家族や周りの友達から始める。将来は心理学を学び、地元や今後の震災のために、心のケアで支援できるようになりたい。まちの復興はその地に住む人の思いを最優先にするべき」と語った。

記事=武鑓 史恵写真=グッドネーバーズ・ジャパン提供