亡くなった旦那に、会うこともできなかった

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

大槌町安渡 里舘サトエさん 80歳

3月11日は次の日にお芝居があるっていうんでね、パーマ屋さんに行ってて地震にあって。飛び出て家へ走って、たいした距離ではないけど、車がポンポン浮いてんです。電信柱がこんな横になってね。ようやく家入ったら、旦那もテレビを押さえてて。そんなことしないで、厚いジャンパー着て神社へ逃げようって言って。

satodate1
かつての自宅前で当時の状況を説明する里舘さん

ちょうど(昭和三陸地震のあった)3月3日に、避難訓練がありましてね。私と近所の3人の方とで神社に逃げたの。なんと神社の階段を上がれなくて、私四つん這いになって上がったんです。その階段は急にも急だけどね。そういう経験してっから当然、神社の表参道の方はだめで、(神社の反対側の道か)学校さ避難すっぺね。二つにひとつ、とにかく逃げなくてはと思ってね。

向かう途中で親戚の方が出てきて、「ここは津波がきたことないから、心配しないで中へ入って休んでいって」って。その言葉に甘えて家に入って、何げなしに窓の外を見たら、もう屋根より高い、真っ黒い波が目にとまったんです。あぁ、だめだ父さん、2階に逃げようって。私は逃げるの速かったんだね。父さんは体調崩してたんだよね、逃げるのが遅かったみたいで。

私がちょうど階段を3段か4段上がった瞬間、ガレキと波が一気にきたの。もう、一瞬です。1秒も経たないんです。2階へ上がろうと思った瞬間、水とガレキに押されて。横の壁のところから角材がぐっと出てきて、胸すれすれに通ったんです。ここ(肋骨)2本骨折して。あと圧迫骨折。背中の一節折ってやったみたいでね。膝から下の足は2カ所が折れてました。そのときは夢中だから、痛くもかゆくもないの。とにかく水をかぶって苦しいし、もうここで終わりかなあと思ってね。真っ黒い水を飲みました。

そこまでは定かだが、頭の上は水でもう苦しくて。そしたら、なんか水位が下がるのが見えてきたんです。また水が来ては、今度こそ流されると思って。そのときは、父さんのことも全然頭にないの。必死でした。何て言いましょうかねぇ。命てんでんこっていうんだか。ちょうど2階の踊り場の明かりが見えたんでね、とにかくそこまで這い上がらなきゃと思って、足を抜こうとしてもガレキで抜けないの。ちょうど2階に腰高のサッシがあって、ちょうど体半分入るくらいガラスが壊れて穴が開いてね。割れたところから屋根に逃げ出したの。

satodate2

そしたら、何て言ったらいいんだかね。不気味で、静まりかえって。あたりに誰もいない。しんと静まりかえってね。家がギスギス、ギスギス動いてんです。向こうを見たら、家が流れてくんのが見えたんです。娘の名前はりょうこって言うんです。私これが最後だと思って、りょうこ、りょうこって3回、思い切り呼んだんです。そして、とにかく大声で泣いたのね。「誰か助けに来てください」って。誰もいないの。

それからしばらく経ってね、その家の親戚が屋根伝いに歩いてきました。「おばちゃん、ここに腰おろしていて。誰か、救助隊つれてくっから、ここに座ってろ」ったって、そんなことできないの。ゆらゆら揺られてね。見れば、そっちの方にも死体が屋根の上にね。

屋根伝いに静かに歩いていったら、ちょうど昔の用地があったんです。そこの土留めと言いますかね、コンクリートの。そこにつかまって下を見たら浅くてね、そこからコロッと落ちてったの。そしたら上からロープが3本、4本ぶら下がってました。でも、それさ捕まって上がる力もないの。雪がちらちら降ってきました。寒くて。歩くのに足が重く感じて。しばらく経ったら、5、6人が(救助に)来た記憶があります。だけど私はあとどうなったんだか、気失ったの。

(気づいたら)神社のストーブの前に寝させられてあったの。まぁそれからが大変でしたね。寒いし、全部濡れてっから。口も砂だらけ。水が欲しくても水がない。私はとにかく口をうがいしたいんだって、砂だらけで。んだら、湯飲み茶碗に神さんのお酒頂いてきたんです。これでうがいしてって。3回か4回に分けてうがいしたっても、口に残ってんの。着るものもないんです。3日も(けがを)放置していたから、痛いってもんじゃないんです。恥ずかしいも何もないの。トイレに行くにも、四つん這いになって着物引きずって、通路をはって行きました。ところがトイレも今式のじゃないから、和式の。しゃがむのがとっても大変でね。あぁぁぁって悲鳴あげるような状態でした。

satodate3
神社から津波がやってきた海を臨む

病院は4日目だかなぁ。神社の後ろの険しい道路でもないところをね、大きなタンクに毛布しいて、私その中に入れて、救急車来んの待って。救急車の中で、(病院が)秋田に決まりましたよって。びっくりしたの。ヘリで運ばれました。

テレビ見てると、あのときの再放送はただ助かっただけっていう風に映りますけど、あのときを思えば本当に恐ろしくて。秋田の病院で、消灯すっと風景が浮かんでくるんです。ある時、うなされて自分の声にびっくりして。看護婦さんに聞かれて、「あぁ、おっかない。津波の風景が目に浮かんで、とっても寝られない」って言いました。それからずっと(精神)安定剤飲んでます。今も。この頃は、夢に出てくるんです。旦那が。何なんだべね。

私、屋根に上ったって言ったでしょ。そのとき、あ、父さんがいるはずだと思って、くぐったガラスから「父さーん、父さーんどこにいるのー」って叫んだら、どうも聞こえたらしくてね。うなりだしたの。あぁー、あぁーって。旦那がね。

神社に救助された時に、(あの時立ち寄った家の)親戚が来て、「父さんが安渡小学校で救助されたけど、亡くなった」って、「申し訳ない。お詫びにきました」って。いやいや謝ってもらわなくても、とっさの事態というか、天災だから気にしなくていいよ、と私言いました。「あのとき、私が声をかけたばかりにこういう目にあわせてしまって申し訳ない」って。旦那が亡くなったつうことは聞いたけど、私はけがをしているから会うことも行くこともできない。それっきり会わないまま、秋田へ運ばれてしまった。どうしてだべなって、そういうの思うとね、もう寝てられねえの。

satodate4

けがも順調に治って、2カ月目で退院することになったけど、前の晩、脳梗塞になってしまった。指が全然動かなかった。顔も左の方ね、麻痺して変形していました。それからリハビリセンターに2カ月いてね。大槌には9月に戻ってきたの。脳梗塞もストレスから来るのもあるみたいでね、私はストレスからいったと思います。

親戚の家へ寄らないで、まっすぐに上ればよかったなと今は思います。寄るもんじゃないです。声かけられてもね。地震だから、ただ事じゃない。津波が来るんだってことは頭にあったのね。でも、あんなとは思わなかった。自分の家には行ってみました。何にもないです。錯覚を起こすんでしょうね、2階に上がればこういう着るものあったとか、写真も1枚もなくてね。

今は息子と一緒に暮らしています。息子は帰りが遅いんで、日中は誰も来ません。震災の時は近くの堤防からね、水があふれてここの地帯もみんな水をかぶったらしいです。リハビリの先生に、近くのアパートに逃げた方がいいって言われたけど、地震が来ると怖くなります。思い出しちゃいます。一人じゃ無理だと思います。

震災前は友達と毎日行ったりきたり、お茶っこ飲んだ。めずらしいもの作ったら、お鍋さ入れて持って行って、またお鍋でごちそうになったりしていました。ここの家には誰も来ません。震災前は身だしなみとして軽いお化粧もしてましたけど、今はお化粧どころではない。左半身がまひしてっからね。お天気いいときはリハビリのために、ガードレール沿いをゆっくり歩いて。早くあったかくなって気分も変えてしまいたい。

<取材を終えて>
サトエさんと一緒に訪れた海沿いの自宅跡。高台の神社は、ほんの数軒先、家のすぐ裏にあった。思ったよりも、ずっと近く感じた。しかし、その階段がサトエさんには急すぎた。昨年末、東北で再び大きな地震があった。サトエさんは家で一人、コタツ板にしがみついて泣いていたという。2年前の「あの日」以来、杖がないと歩けない。揺れれば、思い出して動けなくなってしまうという。もし、あの日が再び来たら、どうなるのか。命を守るために、まだ必要なことがある。

記事=中村 真理