あの時、親と一緒に2階に上がっていれば・・・

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大槌町新町 岩間充さん 43歳

震災の前の年に店を新築したんですよ。ばあさんの代から大槌病院の近くの町方地区で酒屋やってて。父親、おれで3代目になります。

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「津波が来たとき、おふくろの姿はなかった。店の裏手にでもいたのかな…」。店と自宅があった跡を歩くたび、思いは巡る

だからかあの日、地震の後、まず考えたのは店の後片づけ。揺れの最中、棚から瓶がどんどん落ちて、こんな大きい地震、経験したことねえなって驚いた。で、揺れが収まってほうきで割れた瓶を集めてたんです。父親はいとこに不幸があって午前中、釜石に行ったまま。母親はずっと店にいたなぁ。どんな話をしたんだっけなぁ。しばらくして店の前を人が逃げてってるのが見えた。逃げた方がいいのがな、と思いながら、残ったんだな。父親が戻ってないからか、おふくろも逃げるって思わなかったみたいで。津波警報が出たのも、人から聞いたんだっけな。大丈夫っていう考えもあった。そんな感じで決めかねて時間が過ぎた。

結構ね、津波まで時間があったんだと思います。おやじが何とか車で帰って来て、でも逃げるって話にならなかった。片づけをまた始めて…。その時だった。向かいのおじさんの大きな声がした。「逃げろ逃げろ」って。おれらに向けて。突然。切迫した声だった。おやじもそれ聞いて川の方を振り返って見てた。津波が来てるのが見えたんじゃないかな。その後、おれに「家の2階に上がれ」って言った。おれも、建物の間から白い物を見た気がするんですよね。土煙なのか、波しぶきなのか。確証はなかったけど、あれが津波なんか、って。それで2階に駆け上がって、おやじも来てんのかなって階段の下を振り返った瞬間、どーんって下から突き上げるような衝撃が来た。一気に家ごと流され始めたみたいだった。衝撃で、壁か床か、顔がめりめりいうくらい、何かに押しつけられて。

瞬間、これが津波なんだと、これで死ぬのかなぁって思った。柱がバリバリいって折れる音。長年たまってた天井裏の埃が舞って、木の臭いと埃の臭い。その後、家が浮き上がったのかな。でも、床なのかな、どこなんだべな、自分がいた周りは割れもせず、水も被らなかった。すーっと流される感じで、波に乗った。体の周り、ある程度の空間があったんだけど、左腕が挟まれてどうしても抜けなかった。がっちりと押さえ込まれて。

最初は結構な勢いだったけど、しばらくして流れがゆっくりになった。でも、大槌って交通の便の悪いとこでしょう。警察、消防も、なかなか来ねえだろうな、自分でどうにかできねえかって、左腕の周りを動かそうとしたけど全然で。頭の上にはがれき。崩れないよう祈りながら、木でつっかえ棒をはさんだ。

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津波で流れ着いた大槌中そばの土手で、通りかかった友人と声を掛け合う岩間さん。「真っ暗だったけど、ぼんやりと校章が見えてここだとわかったんです」

周りの景色が、隙間から見えた。第二波なのか第三波なのか、波の音がして、物が流れたり戻ったりするのも見えた。しばらくして土手の上に流れ着いた。でも身動きは取れない。大きな家が流されて向かってくるのが見えても、どうにかしようってのも通り過ぎて、あきらめの気持ちだったね。日は薄暗くなって寒さが襲って。小雨が降ってきて、雪に変わるのが見えた。ぼん、ぼんって周りでガスボンベがはじけて、何かが燃える臭いがする。こんなこと言っていいか、近くで燃えたら暖かいのにって思うほど、寒かった。ヘリが飛んでる音が聞こえて、近くにあった棒をぐるぐる回してみたりしたけど、全然だめ。後は待つだけだ。このまま寝たら朝になって死んでんじゃないかなって。あきらめて寝ようともした。ちょっと前に外国で地震があったとき、人が閉じこめられてて、72時間がどうのって、タイムリミットの話を思い出した。でも、この寒さじゃ72時間ももたねえだろうな、とも。生きようするのと、あきらめとを行ったり来たり。寒くて寒くて、歯ががちがちして、助かりたいっていうよりも、死んでもいいから暖まりたい。着てたのはパーカーにズボン。足下は靴下。非常事態なのにおれ、行儀よく靴脱いで階段駆け上がったんですね。

3時間くらいたったのかな。男の人の声がした。「だれかいるかー」って。「ここにいます」って声を上げた。でも周りは真っ暗。見つけてもらえなくて、がんがん木を叩いた。そしたら60歳代くらいかな、知らない男の人が助けてくれて。今でも、なんでその人がそこにいたか、謎ですけど。釜石で仕事して戻ってきたと聞いたけど、どうやってあそこまで来たのかもいまだにね、不思議なんです。

寒くて寒くて、体がかじかんで、起きあがれなかった。生まれたての子馬みてえに。助けてもらって初めて、視界が開けた。火事の炎があちこちに見えて、あたり一面、何もなくなってた。何とか立ち上がって、おじさんについてがれきを越えて歩いて、大槌バイパスのトンネルまで上がってから、10分くらいかな、しばらく休んだ。へたりこんでたら、別の軽トラのおじさんが、ブルーシートをかけてくれて。そのまま軽トラに乗せてもらって、がれきが積み上がってたところからは近くの会館まであるった(歩いた)。同級生がたまたまそこに避難してて、服を着替えさせてもらって。そこから救急車だったか消防車だったかで、別の避難所に移された。そしたらまた偶然に同級生の看護師がいてね。「もっと医療が整ってる避難所に行ったほうがいい」ってその晩のうちに移された。細い簡易ベッドに寝かされて、眠ってしまったんです。

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町が開いた復興まちづくり懇談会。真剣なまなざしで説明を聞く岩間さん。町方地区は「防災集団移転」の対象地区になっている

そんときまでは自分が助かるかどうかでいっぱいいっぱい。でも翌朝、家族のことを考え出して。どうなってんだべ、と。携帯電話は無事だったけど、電波はない。車もないから動きようもない。町の様子を見てきた人の話を聞くだけ。「町にはなんもないよ。とにかく大変だ」って。3日目くらいかな、避難者の名簿が回ってきた。でも両親の名前はない。そっで、だめなんかなと。流された瞬間、「みんなだめだべ」って思ったけど、名簿を見ててあらためて、やっぱり(名前が)ないんだなと。わずかな望みは持ってはいたんだけども、ねぇ。もしかしたらってページをめくるんだけども、今日もない。もしかしたら...やっぱりないな。その繰り返し。

その後、上の姉が避難所という避難所を回って捜し当ててくれた。遠野に嫁いでた下の姉も来てくれて。仮設住宅に入るまで、遠野で過ごしたんです。ほかにも流されたいとこがいて、3、4月はずっと安置所を回ってました。 

今思っても、偶然と偶然が重なって、生きてる。おじさんが逃げろって言ってくれなければ、がれきから助け出してもらわなければ…。避難先には同級生がいた。ほんとうに偶然なんだな。向かいのおじさんは、家ごと流されて亡くなったと聞きました。

あんな津波が来るなんて思いもしなかった。家は海から1キロ。大きな防波堤もあって。大丈夫だべって思ってた。津波が来たとき、母はね、店にいたはずなんだけど、見てないんですよ。最後。おじさんに「逃げろ」って言われて、おふくろに声かけようと店に入ったけど、いなかった。おやじの顔は見たんです。店の駐車場で、慌てた様子で。あのまま2階に一緒にあがってれば…。どうなってたかわかんないけども。年寄りだったもんで。おふくろも、新しい店をきれいにしておきたかっただろうし。今となってみればただ、後悔だよね。あんときああしてればよがったのにって。みんなそういう思いでいるんじゃないかな。

結局、父親の遺体はDNAでわかった。7月くらいに結果が来た。おやじは普段、時計とかしない人なんだけど、あの日は不幸があったから時計してて、その時計でそうじゃないかって。母親は行方不明です。死亡届は出したけども。

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「いろんな人に支えられたからこそ、店を再開できたんです」。姉の手助けを得ながら、仮設商店街で営業している。「いわき酒店」ののぼりが、風にはためいていた

あれから早かったかなぁ。酒屋を続けるのに迷いはあったけども、周りの人が応援してくれた。この仮設商店街が完成するまで、もともとの場所にプレハブ建てて8月から店、始めたんですよ。なーんにもないとこで。昔からの付き合いの問屋さんが協力してくれて、商品絞り込んでとりあえず始めた。役場に用足しに行ったついでになじみの人が寄ってくれたりしてね。何軒か自力で再建した飲食店もあって。やらずにいられなかった。

両親のことですか?うん、ぽっと思い出すことはあんだけども。そればっかり考えても…。そういえば昔、おふくろがチラシの裏に、上のおねえちゃんは手をかけたけど、おれには手が回らなくて申し訳なかった、って書いてるの見たことあるんです。津波の後、おふくろが書いてたノートが見つかったんだけど、そこにもそう書いてあった。おやじも、おふくろも、あんまり思ってること口に出す人じゃなかった。おれもそうかもしれないね。今は正直、先を考えるのでいっぱいいっぱい。でもできるならいつか町方で、「岩喜酒店」の看板あげたい。そう思ってます。

<取材を終えて>
「取材されるの嫌じゃないの?ってよく聞かれるんだけど、時々こうやって話さないとちょっとずつ忘れてしまいそうで」。2時間近い聞き取りの終盤、岩間さんはぽつりとそうつぶやいた。淡々と、けれど時折ゆっくりとかみしめるように語られたその言葉の裏には、どんな思いが横たわるのか。翌日も押し掛けて問い続ける私に、嫌な顔もせず応じてくれた。一気に胸中に迫りたいと思うのは、強引に、傲慢に過ぎるだろう。それでも、それでも…と、くすぶる思いが消えない。

記事=山本 洋子